東海村の原子力臨界事故から10年経過。

「バケツでウラン」の言葉で代表されるように、マニュアルを無視した「裏マニュアル」さえも守らず、結果「裸の原子炉が制御無しで20時間」出現する、という事態を招きました。

幸いながら、放射性物質の外部放出は少量で済みましたが、現場で作業されていた作業員の方2名は亡くなられ、二十数名が被爆、という結果でした。この事故に対する処罰は、工場長などに執行猶予付き有罪判決、JCOに罰金100万円、というものでした。飲酒運転のほうが厳しいですな・・・。


どんな事故だっけ、というかたは、wikipediaもどうぞ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%9D%91JCO%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85


http://www8.plala.or.jp/grasia/dokushyo/JCO/Hibaku2.pdf


・「放射線の恐ろしさは、人知の及ぶところではなかった。今回の臨界事故で核分裂を起こしたウランは、重量に換算すると、わずか1000分の1グラムだった。原子力という、人間が制御し利用していると思っているものが、一歩間違うととんでもないことになる。そのとんでもないことに対して、一介の医師が何をしてもどうしようもない。どんな最新の技術や機器をもってしても、とても太刀打ちできない。その破滅的な影響の前では、人の命は本当にか細い。

しかし、大内は、そして篠原は、その命の限りを尽くして、前例のない闘いに挑んだのだった。放射線原子力と命の重さの関りを見つめなおしたい、前川は決意した。人の命の尊さを、原子力防災の枠組みのなかで訴え、万が一、同じようなことが起きたとき、できるだけ早く医療として対応できるような準備をしたいと思った。そのための体制づくりに、自分自身のこれからの人生とエネルギーを捧げたい。それは二人が与えてくれた決意だった。」(156頁)


・「とても悲観的な考えなのかも知れませんが、原子力というものに、どうしても拘らなければならない環境にある以上、また同じような事故は起きるのではないでしょうか。所詮、人間のすることだから・・・という不信感は消えません。それならば、原子力に携わる人達が自分達自身を守ることができないのならば、むしろ、主人達が命を削りながら教えていった医療の分野でこそ、同じような不幸な犠牲者を今度こそ救ってあげられるよう、祈ってやみません。」(157頁)


技術立国を目指す以上、日本は原子力産業から手をひくことはありえないでしょう。むしろ、原子力の平和利用を限りなく求めることこそ、日本の役目かもしれません。

しかし、同じ事故は繰り返されるでしょう。人間のやることですから。