大善寺「玉垂宮」の神事 鬼夜



毎年1月7日に行われる「鬼夜」
電車で10分ほどなのですが、意外と行く機会の無い大善寺

本来はこの火祭り、大晦日から続く神事のクライマックスなのですが、ちょっと気になったのがこの祭りの起源、というか起こり。

勅命を受けた玉垂命(藤大臣)が肥前国水上の桜桃沈輪(ゆすらちんりん)を368年(仁徳天皇56年)1月7日の夜、松明をかざして討ち取りその首を焼き払った故事が祭りの起源とされる。

というのが辞典的な起源なのですが、今のような形になったのはいつごろからなのかなあ、という点が気になります。
境内に準備された大松明は全長13メートル、重さが約1.2トン。これが6組あり、氏子により境内を引き回されるわけです。
まさか、1600年前からこうやってたわけじゃないよねえ?


意外と、といってはナンですがそこまでは混んでませんでした。都内の通勤電車よからくちーん。大松明が移動するにつれ、観客も移動するという。桟敷席もあるんですけど、移動し始めたらみんなぞろぞろと出ちゃって。最初は「桟敷いいねえ、来年はとろうか」なんて言ってたんですけど、別にいっか、という(笑)
ただ、神事が行われている間、境内は真っ暗なまま一時間ほど待ちますのでそれが耐えられるかどうかですねー。
境内のスピーカーで「おーい!そこの明かりば消さんか!」とか「こんくらいでよかろうか?もう一度、言うたほうがよか?」とか業務連絡がダダ漏れしてて面白かったです。



やー、しかし火に近いお祭りでした。大松明のすぐそばまで行けますし、氏子さんも待ち時間には知り合いの方でしょうか、観客と談笑していたり、まあお神酒が入っているかたも多数(笑)


とか言ってたら、「それは来年お前出るっちゅうことやね?」と先輩から・・・。
いやいや、あんな寒い中さらしとふんどしいっちょで行けませんってば・・・。