まあ、今っちゅうほどではないのですが



大藤から2kmほどあがった地点。椿原公民館のちょい下あたり。
今年の梅雨までには復旧できるのかなあ。
昔の写真、ないかなあ。意外と、日常の風景って撮らないですよね。



八女市山内まで下ってきて、水天宮の境内にあった記念碑。
大正10年6月、矢部川の水害です。

http://www.city.yame.fukuoka.jp/kouhou_yame/salon/20130101.html

大正拾年六月十七日八女地方ニ未曾有ノ大洪水アリ矢部川氾濫シ同日午前十一時突如相馬堤防破壊シ奔流襲来見ル間ニ中島川ニ面シタル家屋軒ヲ並ベテ流出セシモ八戸其他全家屋浸水六七尺家財家具ハ流失又ハ破損シテ矢部中島ノ両橋モ相前後シテ押流サレ為ニ区民ハ避難ノ道ヲ断レテ戦慄号泣生キタル心地モナカリシニ午後四時ニ至リ消防組ノ決死的奮闘ノ救護舟ニヨリ光友小学校ニ避難収容サレタリ此ノ大洪水ノ報伝ハルヤ全国民ノ熱誠ナル同情ニヨリ莫大ナル義捐金品ノ恵贈ヲ受ケテ当区ハ復興スルコトヲ得タリ特ニ畏レ多クモ事天聴ニ達シ御下賜金ノ光栄ニ浴シタル等永久ニ忘ルル得ハザルコトナレバ記シテ後世ニ伝フ
碑文    上嶋 紋次郎  謹書

上の記録は大洪水記念碑の碑文です。これは立花町山崎の隣保館前にある記念碑です。相馬堤防が決壊から全家屋7〜8尺の浸水。悲鳴が聞こえるようです。消防組の援助を受けながら避難した様子が窺えます。
この中洲地区一帯は32年後の昭和28年6月、再び相馬堤防の決壊により家屋浸水して、孤立状態となりました。このように繰り返される洪水の危険から避けられるようにと、地区民の願いがかない、集団移転することができたのです。 (立花町 平島 格)

境内の手水やなんやらが流されて、とあったかと。
それでも忘れて建物たてちゃう。
古い寺社仏閣があるところは災害に強い、なんていいますけれど、よくよくチェックしないと、ね。災いを鎮めるために建立する場合もあるでしょうし。