水俣の汚染土壌渦はつづく

2015年2月4日 西日本新聞の紙面より

汚染土壌の埋立地は二箇所あるのかな?
道の駅水俣の下(こちらはあと40年は維持できそう、と)と、今回流出が危惧されるもう一箇所「八幡プール跡」といわれるとこか・・・。


「八幡残渣プール」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E6%AE%8B%E6%B8%A3%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%AB


どうせだし、ということで産廃の最終処理場になってるんですね。

1955年(昭和30年)年11月5日の『水俣工場新開』は、「水俣川尻に大埋立地!護岸工事近く完成」という見出しで、「1日200トンのカーバイト残渣が、工場から排出される。空地を見付けては残渣のプールとして、それに流し込んでいたが、空地もなくなり、海を埋め立てることになった。近く護岸工事が完成すると(中略)36万立方米の残渣を捨てることが出来る。」と発表。
1958年₍昭和33年9月チッソアセトアルデヒド工場排水の排出先(経路)を水俣湾内の百間港から八幡プールを経ての水俣川河口附近へと変更[3]
1958年(昭和33年)頃 チッソは、護岸の嵩上げを行い、カーバイドの残渣だけでなく水銀を含んだ酢酸廃水や硫酸廃水、燐酸廃水なども流し込んだ。


いまの中国でもここまでせんやろ、という無茶。


しかも、そもそも水が水俣湾に抜けるように設計された場所であり、いまでも「有害物質の種類と量」は不明であり、地震や風水害による流出への対策はとられていない、と。


特措法に基づく水俣病問題の解決にあたって
http://www.chisso.co.jp/minamata/torikumi.html


現在の水俣病患者の方に対する補償は、1973年7月に、患者各派との間に締結された協定(派に属さない方とは個人契約)に基づいて行われてきたもので、これまで2,273名の方々が認定され、合計1,494億円(一人平均約6,500万円)をお支払いしています。(2012.3末現在)
この補償協定の成立過程におきましては、大半の会派とは話し合いでの決着を図りましたが、一部の会派との交渉は、極めて難航、混乱いたしました。
こうした事態を憂慮された三木武夫衆議院議員(当時環境長長官)、沢田一精熊本県知事ほかのご仲介により、補償協定が成立しました。その内容は、表(1)のとおりとなっています。


このあとつらつらと金ねーよという文言がつづくのですが。
一私企業が廃液垂れ流して、国にケツもってくってのもなあ・・・。監督義務を怠った、ということでしょうけど。



しかし、放射性物質とちがい、半減期という概念のない汚染物質。
ずっと、ずっと管理できるのでしょうか。