海苔の網入れにいってきたよ!その二

本来は順序が逆なのですが。網を作って、夕方積んで、解禁を待って出航、網を入れる、という流れ。で、一ヵ月後に摘んで、海苔に仕立てて、出荷、と。

ので、

海苔の網入れにいってきたよ!その二
http://d.hatena.ne.jp/wwwkurashijp/20091021

海苔の網入れにいってきたよ!
http://d.hatena.ne.jp/wwwkurashijp/20091020

有明の海で海苔を収穫するぜ編
http://d.hatena.ne.jp/wwwkurashijp/20090124

港に戻って海苔をつくるぜ編
http://d.hatena.ne.jp/wwwkurashijp/20090126


というのが、海苔の生産工程かと。ほんとは細かい作業がいっぱいあるんです。夏の間に網に袋をつけていったり、有明海に棹を立てたり、収穫が終われば抜きますし、その棹にはフジツボがたくさんついてるんでそれを落としたり。



これが、袋の中に入ってる牡蠣の殻。うっすらと茶色なのが海苔の種です。これはもう乾燥しちゃってるんで色が薄くなってますけど、ほんとはもっとまっくろ。


そういえば、船の上で朝食をいただいたのですが、こしあんのおはぎをひとついただきました。牡蠣についた海苔の種に似ているでしょう?とのこと。縁起物なんですね。そう、網入れが終わったら、豊作を祈ってお神酒もまきます。


乾燥すると、海苔の発芽率が悪くなるので、ぎりぎりまで海水の中に浸しておきます。

これをひとつひとつ手作業で網に下げた袋の中に入れていきます。手前に見えてる側が、海面の下側になります。袋の上端は開放なので、ここから海水が出入りして、海苔の胞子が放出されるとすぐ側にある海苔網に付着、一ヶ月ほどかかって伸びるんです。

網の重さは約60kg。これを海上の不安定な中、箱舟に移し、海面に下ろしていきます。雨より風がしんどい、とのこと。最近では、船に小型ユニッククレーンがついているんでずいぶんと楽にはなったんでしょうけど、もちろんその分船の値段(=生産コスト)に跳ね返ってきますしねえ。


bure君のおじいさんにお話を伺う機会があったのですが、その中で面白かったのが「夜明ダム」との関連。
昔は、海苔は片手間で、本業は牡蠣の養殖だったそうです。筑後川の河口に、竹をたくさん刺しているとそこにフジツボがつき、その上に真牡蠣がたくさん着いたそうです。それを養殖して家業としておりました、と。
ところが、あるときぱたりと着かなくなってしまった。それは、昭和28年、上流約60kmの「夜明ダム」の完成と同時期でした。夜明けダムが出来る際、日田、小国あたりから木を切り出して流していた「いかだ衆」も廃業、その影響で栄えていた大川の製材業も打撃を受けたのですが、ダムの完成に伴い補償金があったのでその際廃業された方も少なくなかった、とのこと。しかし、まさか、牡蠣にまで影響があるとは思ってもいなかったので、こりゃいかんと海苔の養殖に転換、最盛期には三日三晩徹夜するようなときもあったそうですが「今は一晩が限界ですなー」っておじいちゃんボクは一晩も辛くなってきましたよ・・・。
今の時代ですと、「環境アセスメント」などもありこういった影響もあらかじめ予測できるのかもしれませんが、当時はそういったものもなかったのでしょうね。いったい何が影響したのか。それは推測でしかないのですが、ひとつは流量の減少でしょうか。


筑後川の取水のお話も面白かったです。
今、取水口が何箇所あるのかわからんのですが、今現在福岡市に導水している取水口はもともと北九州へと送る計画だったそうです。何キロあるんよ、っちゅう話なんですが、さらに遠く、国東半島へと農業用水として送る計画もあったそうです。みかん畑にまく、ってあのなあ。これ、計画した奴でてこい。一晩お話を伺ってみたいものです(低姿勢)


ちなみに、久留米の筑後大堰では毎秒90t、これが河口では50tにまで減少します。40tは?農業用水などで、途中取水されます。


参考:筑後大堰管理所
http://www.water.go.jp/chikugo/coozeki/html/index2.html

大堰直下流
http://www.water.go.jp/chikugo/coozeki/html/contents_2/manage_info_001/manage_info_001.html#1

ピーク値でかすぎワロタww


このへん、郷土の出版社からおもしろものが出ていたんですが、家に戻ったら書き加えます。