友人から、本を貰った


友を選ばば書を読みて 六分の侠気四分の熱。


立場も、普段語り合う方向性も違うのですが、きっと目指すところは一緒なのでしょう。いくつになっても、良き友人に恵まれることはありがたい事です。


なんとなーく自分は現場の人間であって、社長とか店長とか呼ばれるのは苦手。しっくりこないんですよね。朝礼会だとか、勉強会だとかもお誘いいただいたりしますけど、どうも肌にあわずすべて失礼している今日この頃。


まあでも、ちょっと思うところあってとある会に参加してきます。中身はよくわからんですけど、そこまで含めて。なにごとも、まずはやってみらんとね。



私の仕事は、食を通じてちいさな循環型社会を構築していくことです。
もうすこし具体的に言えば、有機栽培、無農薬栽培の野菜および加工品の販売、いわゆる「自然食品店」の経営を通じて、地域生産、地域消費、地域循環の実現を目指していくことが目標です。
なお、仕事として食品を扱うのが主ではあるが、志としては人、物、金銭、情報の循環を追求してゆきます。


林業を通じて、自由闊達な社会実現に向けて


農業と一口にいってもそのかかわる範囲は広く、中山間地においては林業との兼業、川での水産業もありその先には海もあります。
合鴨農法などでは、畜産にもかかわり、取れすぎた農産物を加工するとその先は二次産業。百姓、とはよく言ったものだと思います。

適地適作、という言葉があるようにはっきりとした四季を持つ日本という国土での農業には、職人芸である一面も持ち合わせています。
農業は、その土地を知ること。米は年に一作しかできず、30年やっても30回しかできない。また、大資本が必要な起業セクターでもある。林業もしかり。
農地の固定化、税制優遇などと引き換えに、職人の育成を図るべきではないか?そう考えることもあります。


また、その一方で新規参入者の取り込みを行わない業界は固定化、陳腐化するのが常です。北海道型の大規模農業においては、量的、価格的な側面の追求と、新規就農者の育成などを図るべきではないだろうか。

昔懐かしい農村の風景の再生産と、現代的な農業経営のありかたの両面から日本の食糧事情の改善、生産、消費、循環の実現を図っていきたい。そのためには農産物を販売すること。それに伴う加工品を販売すること。雇用を生み出していくこと。それが現在、今後の課題です。


最終的には、東京-地方というモデルからのゆるやかな脱却を目指したい。東京は東京の幸せがあり、地方には地方の幸せがある。不幸せも同様。
肝心なのは、それを選択できる社会システムであること。


選択肢のない状況下において、われわれは常に被害者である。
いかに、地方での幸せの選択肢を拡充していくのか。そして、そのデメリットはなんなのか。


自分の店が、自分の生きて行きかたがそのひとつのモデルケースになれば、と思う。


あなたは昨日、何を食べましたか?
それは、どこで、だれが、どういう風に作ったものですか?

そういう、小さな選択が私たちの体を作り、私たちが住むこの国の産業を作り、この国の風土を作っていくのだと思う。



ちょっと、大きい物語かもしれませんが。