種麹(たねこうじ)について一言いっとくか

昔は自然発生的な麹かびを利用してきましたが(蔵付き、ってやつですね)現在は選抜酵母菌を使用するのが一般的かも。やはり安定しない、管理の手間が格段に違う、ってやつですね。職人の勘の出番が減ります。あと、輸出向けの話だと、「蔵付きの酵母」なんてわけわからんものを使うな!輸入させん!ということもあったりしたそうな。今は知らんですが。


種麹の種類としては黄麹菌のアスペルギルスオリゼーやアスペルギルスソーヤ(Aspergillus oryzae、Aspergillus sojae)

おおう、もやしもんの世界だわw

ちなみに、昔は商売敵の蔵にこっそり見学にいって、背中を蔵の壁にこすりつけて蔵付きの麹を持ち帰ったりしてたそうな。スパイの世界ですね。


天然天日塩使用、って塩の世界も一度まとめねば。
今度表示に規制がかかるんですよね。つまんねー。













おまけ

醤油の歴史

http://www.yagishouyu.co.jp/syouyu.html

我が国の醤油は、周の時代すでに中国にあったという「醤」が仏教の伝来と共に伝わったのが起源とされているが、それは未醤とか垂汁の形で、今日の醤油の形態を備え出したのはずっと後世、僧・覚心(法燈国師)が宋より径山寺味噌の製法を持ち帰り、1254年、紀伊 ・由良の住寺、興国寺近辺に伝えたのが始まりであると云うのが通説のようである。
おそらく中世から、京都、堺、湯浅等を中心として、営業としての醤油が造られるようになったと思われる。
そして、近世に入ると商品流通発展の機運に乗じて、各地で醸造されて、名産地を生み出す結果となった。

〜中略〜


酒造の地であった龍野が、何故に醤油の特産地として発展するようになったのであろうか。
地理的側面から見れば、まず、“水”であろうと思う。
寛文年間(1660年代)、蔵に仕込んだ酒が次々に腐り、この頃から多くの酒屋が醤油屋に変わったという話を聞く。
腐った原因は、龍野の水は軟水で酒造りに必要な硬度がなく、酵母の無機栄養分が不足していた為というのが、現代科学の答えである。
ところで醤油、特に淡口醤油に使用する水は、水分中の鉄分が少なければ少ないほど、色が薄く仕上がる。龍野を貫流する揖保川は、この鉄分が、県下の他の河川に比べ、最も少ないといわれている。
酒造りには適さないが、淡口醤油には最適の水に恵まれ、その上、次に述べる材料的条件の整った醤油業へ転換していくのは自然の成り行きであっただろうし、そしてまた、良質の硬水と酒米に恵まれて発展進出してきた、池田、伊丹、灘地域の酒と対抗することの不利を早くも悟ったからであろうと思う。




減塩醤油の話はまた別の世界。イオン交換膜とかね。

http://www.j-tokkyo.com/2006/A23L/JP2006-087328.shtml