冷凍海苔網の収穫へ

10月の21日19日に網を海に入れて約一ヶ月。網には海苔の胞子がついて、2cm弱まで成長しております。

有明海のやりかたは、「海上採苗」といって、なにもついていない海苔網に、海苔の胞子を培養して付着させた牡蠣ガラをたくさんぶらさげて海の中へ。

このへんは、前回の「海苔の網入れにいってきたよ!その二」で復習よろしく。


牡蠣の袋さげてる時点で、網は30枚重なって張ってあります。
網を張り込んでから、時々見回り、網を少し切って持ち帰っては顕微鏡で種の付き具合をチェック、充分に海苔の芽が伸びたらしてから袋を外します。


そこからは家々によって違いますが、網の枚数を15枚にしたり、6枚にしたりします。
30枚だと管理が楽な反面、網が汚れやすく、海苔の成長が遅れがちです。畑でも密植していると土の肥料分や水分を奪い合って成長が遅れますね。畑だと間引けばいいんですが、海苔網はそうもいかない。そのために網を広げるんですな。
ただ、15枚や6枚にすると、網が汚れにくく海苔の成長も促進される反面、管理する小間の数が2倍、5倍になり、また網が干出した際網が乾くのが早いので、管理が大変になります。こまめに手入れをしてやらなければいけない。
網が完全に乾くと海苔が死んでしまうので、ある程度海苔が成長してから網を分けていきます。海苔が成長して芽の面積が広がれば、そのぶん水分を保つことができますし、乾燥にもじょじょに適応していきますんで、15枚にするのは種付けから何日後か、6枚にするのは種付けから2週間以降です。


そして、最終的に3枚にします。この網を広げていく作業を展開といいます(15枚展開、6枚展開、3枚展開といった具合に)
その3枚展開までの間、ほぼ毎日、網を洗ったり、人工的に干出をかけたりして珪藻や汚れを落とします。
今回の冷凍網の作業は、その3枚の網から2枚を持ち帰ってくるところから始まります。


11月の下旬に一番海苔を摘んだあと、一週間程度でまた成長するんでまた収穫。これを4回ほど繰り返します。そのあとは質が落ちるので網は回収、冷凍して保管していた網を海へ戻し、また収穫。これを春先まで続けます。

このへんは、有明の海で海苔を収穫するぜ編で復習よろしく。


というわけで、朝7時、港に集合。bure君は朝3時に港を出て、網を引き上げてきます。


bure君のおじいさんと港で帰りを待ちます。数日前から天気が悪く、雨がつづいていました。15日の日曜日は風こそ冷たいですが、雨は降らずに天気がもちそうなので多めに海苔網を回収してきます、と海の上から電話を貰いました。天気に左右される仕事です。

船の前に積んだかごの中身は、濡れた海苔網。


じーちゃん、運転すんの!?超現役です。80歳を過ぎてらっしゃるとは思えんです。


満ち潮の時間帯なので、ざぶざぶと足元を川の水があらいます。


コンテナをいったん工場へ運び、でかい脱水機で海水をある程度落とします。この脱水でずいぶん軽くなります。5kgは水分おちるんじゃなかろうか?じーちゃん、濡れた海苔網が入ったコンテナを抱えます。20kgはあります。すげえ。


再び、コンテナに収め、港に戻ります。なにやらジャングルジムみたいなやぐらが組んでありまして。


こんなカンジで干していきます。この奥行き、わかります?これが海苔網の長さの「半分」です。実際は向こうで折り返していますんで、この倍の長さが「一列」これを5列張って「一小間」となります。

干し方も、家々によってちょっとづつ違ったり。風の通りのよさや、作業性やら。これは人手の多さで違ってきます。




脱水した、といってもやはり湿気を帯びていますから、ちょくちょく絡まっています。丁寧にほぐして、ひろげて。



二時間ほどで100枚ほどの網を広げて、一休み。漁港が真っ黒になります。



そろそろ乾いたかいなー?こまめに全体を見て周り、手で触ってチェック。乾きすぎてもいけないし、生乾きでもいけない。風が直接あたる外周は速く乾きますし、中のほうはどうしても乾きが悪いですね。気温、天候などで変わります。



よっしゃ、よかろう、と今度は畳みながら海苔網を取り込んでいきます。網を海に入れるときを考えながら畳んで、トラックへ積んで工場へ。



あとは、ビニール袋に入れて、コンテナへつめて、漁協の共同冷凍庫へ。


雨が降れば、もちろん天日乾燥は無理なので、工場に支柱を立てて干すのですが、やはり空気中の湿度もあるので、送風機で風をおくってもなかなか乾かず「きゃふちいうけん!」とのこと。
逆に雨だから、と海苔網を上げてくるタイミングを遅らせれば、海苔が海中で成長しすぎて、12月以降に冷凍網を入れたときに悪影響がでますし、ちょうどいいのはなかなか難しいですね。


おじいさんが海苔の養殖を始めた昭和30年頃は、まだ笹竹に海苔の胞子をつけてもらって(専門の業者さんが熊本に数軒あり、そこから貰ってきちょった、とのこと)、有明の遠浅の海にナナメに突き刺して、手摘み、ミンチにして御簾に乗せて乾燥、という流れは変わっていないのですが、やはり簡素なやり方だったようです。ちょうど、イカの干物をつくるようなカンジで、水車を横倒しにしたようなものに御簾をセットして、ぐるぐる回して乾燥させたり、小屋を作って暖房をいれたりして仕上げたそうな。


もちろん、今では時代は変わり、養殖の技術が確立されて冷凍網など、漁期を伸ばす技術革新などもありました。船も大型化、漁場もひろがり、海苔の品種改良、工場も大型化され、大量生産が可能になって、海苔が日常の食べ物になったのです。
以前は、お歳暮といえばお茶か海苔、という時代があったそうです。おじいさんが若い頃、銀座の海苔屋さんにいって、「一番うれちょるのはどれね?」と聞いたら、いちばん高いところに飾ってある桐の箱入りの「二万円」のものを指差されたそうな。もちろん、高級店だったのでしょうけど、時代ですなあ。


なんとなく、お茶と似てるなあ。お茶も茶畑の大型化、農業機械の大型化などを経て、いまではペットボトルで飲んだり、紙パックに入ってコンビニで24時間1000ml入って100円で買えるようになりました。一方で高級品の分野は苦戦、苦戦で、むしろ海外へ輸出などのほうが脚光を浴びている状況です。

とか思ってたら、昔は相補う関係だったそうで。お茶と、海苔って最盛期がちょうど逆なんですね。お茶は5月辺りからいそがしくなり、海苔は11月くらいから人手がいるようになる。お互い、出稼ぎにいったりきたり、だったみたい。


ちょっと面白かったのが、鴨が海苔を食べにくるそうな。
ええ??と思ったんですが、網をくちばしでこさいで(こさぐ、って方言?こう、挟んでしごき落とす、というようなニュアンスなんですが。削り落とす、かなあ)柔らかくーって、一番美味しいところをついばむそうです。よかとこから食べていきよらすげな。鴨よけに、支柱にネットをはりめぐらしたり、ししおどしのような音がでる機械で対策はしているんだけど・・・、と。なんだか、中山間地の農業と一緒だなー。また、なんかの拍子にいのししが泳いできたり。ながされよったっちゃろっか?


また、沖合いの船にまで「カラス」がくるそうな。ふろしきを解いたり、クーラーボックスをあけたり!こちらは、人間の弁当を狙って・・・、とのこと。いやはや、なんとも。


おまけ。お昼過ぎに帰るころには、これくらいの潮の引き具合。左の柱の付近まで波が来てたんですが・・・。沖に泊めてあるのは夜半に海に出るため。岸に繋いでいたら、出れませんからね。渡り伝馬、と呼ぶ小船で突堤から船まで渡ります。



あらためて、山本山のサイトをみると、ああなるほどなあ、と感動。ずいぶんと間引いて書いてありますけど、その隙間がうまったカンジ。

http://www.yamamotoyama.co.jp/wisdom/nori/youshoku.html


bure君、お世話になりました。これから、だんだんと忙しくなってきますね。どうぞ、お体には気をつけて。