生ゴミを活きごみにしよう

相当昔の文章ですが、出てきたのでネットの海に放流(笑)
ファイルのタイムスタンプを見る限り、2003〜4年ころに、うちの母が書いた文章を起こしたようです。



生産者と産直活動を始めて、今年で20年になります。月に一度、消費者と生産者が集まり、生産状況などの情報交換をふくめ、様々なことを夜遅くまで話し合ってきました。1991年12月にお店を立ち上げ、より多くの消費者が生産者と結びつけるようにと工夫を重ね、今日にいたっております。


野菜を扱うと、必ず生ゴミがでます。その処分にいろんなことを試しました。畑に大きな穴を掘り埋めたり、発泡スチロール箱で米糠と混ぜて堆肥にしたり、EM容器のありとあらゆる物を買って使い勝手を試したりもしました。また生ごみ処理機も1998年頃よりブームとなり、個人用もたくさん出回るようになったけど、様々な機種がありすぎて、自分がどれを使いこなせるか、わかりませんでした。いろいろと比較しているうちに、一軒一軒が個人でやるより、地域で処理能力の大きい中型がいいかなと思い始めた頃、機械に弱い女の私でも操作できる、沖縄生まれの「ゆいまる」という機械に出会いました。


1999年11月に展示会場から直行で店の倉庫に来た「ゆいまる」は、3時間で10kgの処理能力があり、臭いもたいしたことはありません。これならものになるかなと思い、写真をとりながら粉砕していく様子を記録しました。面白いほど粉砕、攪拌し、一時処理をしたものを発泡スチロールに入れ発酵させ、白いカビ菌が出来るとひとり嬉しがっていました。堆肥作りはどうするのかも、この頃は暗中模索で、駐車場の一角にブロックを積み、一次処理したものをいれ、発酵途中の臭さを知らなかったとはいえ、近所にとても迷惑をかけました。大体様子がわかったので、店のお客様に話を持ちかけ、「生ごみを活きごみにする会」を作り、規約を定め、生ごみを持ってきてもらうようにしました。それは私の夢である地域型循環に取り組む為の試行だったのです。


冬場は周囲が窓を開けないので臭いの苦情はきませんでした。また生ごみも水分が少ないのでうまく行きました。春から夏にかけては、生ごみが腐敗しやすく、水分も多くて発酵菌床が団子状になりブレーカーが落ちて回らなくなるは、臭いは風に乗ってまわりの住宅地にいくので、何度も注意を受け、警察が来て事情をきかれたこともありました。生ごみの会員は10名ほどで、コンポストに一杯になるまで1日水分を新聞紙に吸わせたりもしました。生ごみと一緒に缶ブタが入り、ショートの原因となったり、誤って包丁が入り機械に挟まったり、時計、空き缶、フォーク、スプーン、貝殻などがトラブルをおこし、修理代が30万円ぐらいになりました。電気代は一日100円程度で済むので、年会費3000円でまかなえる計算でした。


一括処理して出来た生ごみ一次処理品は5kg入りの米袋2袋渡していました。私の使い方は、薄く畝の肩に撒いていき、10日ほど経って土と混ぜ肥料として利用、作物もよく収穫できました。会員の方々も上手に利用しておられたようです。2003年に入り、修理代がかさみ意気消沈、今夏に近所からの苦情の為、ついに操業を休止しました。


2001年度に、久留米市生ごみ減量審議会の委員となって、一年学ばせていただきました。久留米市は埋め立て地が満杯となり、新たに谷をゴミ埋立地として計画し、住民の反対にあい遅れ遅れしながら強制着工、私も反対運動に参加して機動隊に排除され、立ち入り禁止処分を受けました。その後、反対ばかりを言わず、いかに減らすかの提案が大事のように思えて、のぼせて150万円もする処理機を買ってしまったのでした。お客様からどんな処理機が良いのか教えてと聞かれるたびに、まだ買わないほうがいいヨ、発展途上だからもうすぐ本当にいいものだけが残るから、それから買ったほうがいいといった私は、発展途上の物を買っていたのです。


“臭い”新しい生ごみは臭わないと言いますけれど、魚のアラ、水分の多い残飯は臭いゼロではなく、何らかの臭いがあります。また、集めて処理するときは、自分の生ごみと違い、様々なものが入っているのです。これらは料理の仕方、食べ方、食材の買い方も影響します。よく、生ごみでその人の生活の質がわかるという人がいますが、私は質よりも人間性かな、と思います。捨て方は私も含め反省すべき点が多いと言えます。清潔、清掃、整理、整頓、節約。この五つの「S」でいろんな問題の大半は片付くのでは、と思います。


心に5つの「S」を訴え続け、習慣を自発的につけることが大切でしょう。規制をかけやらせるのは細かなことまで枠をはめた分別方法のポスターが配られても守る人と守らない人がいるように、難しい。ゴミになるようなものを買いながら、環境を守ろうと口だけの人もいます。自給率向上を求めるにしても、安全な食糧を求めるにしても、アンケートを取れば、素晴らしい結果が出ます。その時だけ、その気になるのではないでしょうか?統計は参考にもならない。循環とは、そこにあるものをまわすことです。衣食住全てがグローバル化され、ゴミもグローバル化し大型施設に集めて燃やしたり、固形燃料化したりと技術の進歩にはすごいものがあります。


けれども、土壌菌を用いた減量や堆肥化の方法にもいろいろとありますから、真似事でもいいから、その人がやってみてよければいいのです。やっている間に工夫も生かされます。
ともかく、何かしなければいけない時がきているのです。減らす努力をしている人は、まず相互に認め合うべきです。ただ、機械は故障することを忘れてはいけません。大型化すればするほど大変な影響が出ます。処分場もしかり。様々なやり方の情報公開の場が必要です。選択を自由にし、ゴミ処理に支払う額を変えると、違った動きが出るように思えてきました。


これからは、この便利さは程々にして、シンプルに暮らすことを考える人が増えると思います。生ごみを活きごみにする会は、ささやかながら畑を借りて野菜作りに精を出し、自給自足の真似事を始めて、別名畑塾となりました。思い思いに生ごみを利用しています。私も「ゆいまる」をまた早くまわしたいと思います。循環は継続の一言に尽きます。


味噌、醤油、梅干などの伝統食品には、本来賞味期限など無いはずです。食品だからといって、添加物たっぷりの物と同列に扱う厚生労働省はいったいナニを考えているのでしょうか?



2009/05/25追記

「ゆいまある」は、沖縄の製作所が倒産したため修理がうまくいかないのが現状です。脱臭装置をつけた後、自宅の裏庭にいまは置いてあります。ベルトで駆動する部分がスリップするんですよね。ゆっくり、少量だといいのですが動力が200Vだったり、かなり大型だったりと実際的ではないですね。

いまは、大木町のダンボーコンポストの事例があったり、各家庭でゴミを小さくして出す方向に向かうといいなあ、と思います。なんせ、不必要なものを買わない、買わせない(と商売している人間がいうこっちゃないでしょうがw)のが一番肝要なのではないでしょうか。