国産塩の歴史

ちょうどギフトセットのシーズン。いつものお客様にセットの内容をご案内する文章を書いていて、ふと塩の歴史を振り返ってみるのも悪くないな、と思って塩に関する小さなメモ。



外国では、内陸の岩塩や塩湖などを利用したり、高温乾燥の地域では、海水から直接塩の結晶を得る天日製塩が行われています。一方、日本では、岩塩や塩湖が無いために、昔から海水を原料とした塩づくりが行われてきました。しかし、雨の多い気象条件が天日製塩に適さないため、海水から直接塩の結晶を得ることができません。そのため、海水から濃い塩水(かん水)を得る「採かん(採鹹)工程」と、そのかん水を煮つめて塩の結晶を得る「せんごう(煎熬)工程」という二つの工程を持つ製塩法が発達し、現在の製塩法にも引き継がれています。また、現在、塩は、ソーダ工業をはじめとする工業の分野で、欠かすことのできない基礎原料として重要な資源となっています。

 このように塩は、私たちにとって、食品としてだけでなく、くらしを支える多くの分野で活躍する「生命の糧」として重要なはたらきをしています。


塩。この体を作るうえで欠かせないもののひとつです。塩は人間が生きていくのに欠かせないため、昔からどの国でも特別に扱われていました。塩がお金の代わりをしていたこともあれば、国の財源になっていたこともあります。塩を国が管理するのが当たり前の時代、自分達が望む塩を手に入れるのは、大変なことでした。昭和47(1972)年、それまで瀬戸内海を中心に広がっていた塩田が全面的に廃止され、すべての国産塩は、イオン交換式の工場で作られることになりました。イオン膜塩はほぼ純粋な塩化ナトリウム(99%以上)のため、味わいが単調です。それに対して昔の塩は、海のいろんなミネラルが入った複雑な味わいでした。昔ながらの塩の味を忘れられない人たちは、塩田時代の塩を復活しようという運動を伊豆大島で始めたのです。専売公社との長い長い“闘争”は続きました。昭和61(1986)年の三原山大噴火にも見舞われました。それでも「塩の道」は、徐々に延びていきました。公社と交渉の末、作った塩は“官能分析用試料”として配付できるようになり、平成9(1997)年の塩専売廃止によって、ついに自由に生産販売できるところまでたどり着いたのです。 今現在、日本各地で様々な製法の塩が作られ、数多くの選択肢の中から、自分の好みに合う塩を選んで食べられる時代になったのは、こうした「先達」といえる方々の努力があったから、ともいえます。
「海の精」には、ナトリウムだけでなくマグネシウム、カルシウム、カリウムをはじめ、健康保持に欠かせない少量微量の成分がバランスよく含まれています。 今回お届けさせていただくのは、しっとり素材になじむ粗塩(あらしお)タイプ。ただ塩辛いだけでなく、ほのかな甘味や旨味や苦味があり、とってもまろやかな味わいです。



JT:世界の塩・日本の塩
http://www.jtnet.ad.jp/WWW/JT/Culture/museum/sio/index.html